主要な業績の説明
 新城新蔵の業績は、初期の測地学研究、中期の宇宙物理学研究、後期の中国天文学史研究に分けられる。また、晩年の上海自然科学研究所所長として果たした役割も注目される。

●測地学分野での活躍

 重力、地磁気の測定は当時の物理学上の重要な研究課題であった。長岡半太郎、新城新蔵、大谷亮吉は、1899年、1900年に東京、京都、金沢、水沢において、重力を従来よりも高精度で絶対測定し、さらに東京−ポツダム間の比較測定を行い、日本の重力測定の基礎を確立した。新城はその後も中心人物として各地で測定し、1903年には大谷らと中国、シンガポールなど5地点で重力、地磁気を測定した。1911年から弟子の松山基範、熊谷直一が引き継ぎ、1915年までに測定は122地点に達した。さらに松山らによる植民地での測定(1933年までに朝鮮で24地点、満州で10地点)、1934年の海軍の潜水艦を利用した日本海溝の重力測定に尽力した。 (写真:1936年北満州黒龍江畔における日食時の地磁気観測、右端が新城新蔵。荒木俊馬「故新城新蔵博士」『科學』 8(1938年), p.549より)

●宇宙物理学分野での活躍
 1912年ごろには測地学方面の興味から緯度変化の研究を行ったが、ドイツ留学中にシュヴァルツシルトの講義に心酔し、当時最先端の天体の物理学的研究に向かった。1918年には京都帝大の物理学科に宇宙物理学講座を新設し、3年後には2講座からなる宇宙物理学科とした。新城は天体の回転運動量不変の原理に注目し、すべての天体は流星団の密集によって成立するという流星進化論を唱え、それは講義をまとめた『宇宙進化論』(1916年)に示されている。とくにケフェイド型変光星の変光原因について、擬似連星説の立場で国際的に論陣を張った。観測面では、1929年に完成した花山天文台の設立に尽力した。宇宙についての一般向けの解説も多い。

●中国古代天文学史研究の草分け
 新城は狩野直喜(君山)、内藤虎次郎(湖南)の影響によって、中国の古典を天文学的に分析する研究を始めた。その業績をまとめた『東洋天文学史研究』(1928年)では漢代以前の暦法研究が中心で、『左伝』『国語』の製作年代の研究に重点が置かれている。中国では殷代から太陰太陽暦が施行されていたが、それは小月、大月、閏月を複雑に置くもので、新城はその発展のあとを検討し、周初から漢の太初元年に至る暦日を編纂した。