
エピソード
学者として官僚として田中は多方面で多彩な活躍をした。日本最初のダービーを行ったのも彼で、1879年のことである。1871年に、西洋諸国の家財・食器などの諸品を紹介した『泰西訓蒙図解』を出版したが、なかに叉子、ニクサシ(ホーク)、玉団扇(ラケット)、ハラコナシ場(運動場)などの“迷訳語”がある。東京大学に田中の蔵書など6,000冊が残されるが、なかに「貼交帖」と総括される資料がある。これは、普通はすぐに捨ててしまうような、菓子の包紙・入場券などを保存したもので、田中の徹底した収集癖が見える。『鯣帖』は、全編ひと目見ただけでは違いがわらないスルメの拓本集である。田中らしいのはその一つ一つに産地やサイズが記されている。作家の荒俣宏は、田中を評して「究極の“よくわからないけど偉い”人」と言った。
パリやウィーンの並木の美しさに感銘した田中は、1872年に東京府知事に街路樹の植栽を建議した。後日、日比谷堀沿いにニセアカシヤを植えることになり、田中の建議が実現された。これが日本で最初の洋風街路並木である。東京が他の都市に比べ並木が多いのも田中の功績に負うところが大きい。
交友、師弟
師:伊藤圭介
同僚その他:津田仙(津田英語塾を創立した津田梅子の実父)、町田久成、大久保利通、箕作貞一郎(鱗祥)、佐野常民、寺島宗則、大隈重信
著作、資料
●著作
『泰西訓蒙図解』文部省(1871年)
『有用植物図説』3巻(1891年)
Useful Plants of Japan Described and Illustrated など多数
●資料
みやじましげる『田中芳男伝』田中芳男・義廉顕彰会(1983年)
西野嘉章, 根本亮子「田中文庫博覧会関連資料目録」,
西野嘉章編『学問のアルケオロジー』東京大学出版会(1997年)
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