中島知久平
なかじま ちくへい
NAKAJIMA Chikuhei
 
1884-1949
群馬県新田郡尾島町押切に生まれる。
海軍軍人から、民間で航空機メーカーをスタートさせた日本の飛行機王。

経歴と業績

 1903年12月横須賀の海軍機関学校に入学し(19歳)、1907年4月卒業とともに少尉候補生として、巡洋艦「明石」と「常磐」に乗り組んだ。同年12月「石見」に乗務し、1908年1月機関少尉になる。1909年に発足した臨時軍用気球研究会の御用掛となった。1909年「薩摩」乗務のときに中尉、1911年大尉に任官した。1911年海軍大学選科学生に選ばれ、1912年発足した海軍航空術研究委員会のメンバーになる。1911年には陸軍イ号飛行船を2時間運転した。1913年横須賀海軍工廠(しょう)造兵部の造兵部員となり、飛行機の設計と製作に従事し、輸入したファルマン式水上機の方向舵を改造した。これは国産海軍1号機といわれる。1916年夏ごろ海軍の退役を決意し、翌年6月1日、待命また臨時軍用気球研究会の御用掛を免ぜられた。1917年12月、群馬県太田町に飛行機研究所を設立した。
(写真:光人社提供)