本田宗一郎
ほんだ そういちろう
HONDA Soichiro
 
1906-1991
静岡県磐田郡光明村(現在の天竜市)に生まれる。
一代で世界のホンダを造り上げた自動車技術者。

経歴と業績

 高等小学校を卒業、1939年浜松高等工業学校機械科中退、成功してのち、アメリカのミシガン工科大学、オハイオ州立大学、フランスのエクス・マルセイユ第三大学、イギリスのクランクフィールド工科大学などから名誉学位を得る。生前勲一等瑞宝章、レジオン・ド・ヌール・オフィシエ勲章(フランス)、グラン・オフィシエ勲章(ベルギー)などを受賞、逝去にあたって勲一等旭日大綬賞を贈られる。
 高等小学校を卒業後、1922年自動車修理業のアート商会に就職、1928年浜松アート商会を設立、1937年東海精機重工業株式会社と社名を変更し社長となる。1933年に自動車に挑戦し始めた豊田自動織機の下請け的な仕事をする。戦後1946年本田技術研究所を設立、所長となり内燃機関や機械類の研究・開発に従事、自転車の補助エンジンの販売を始める。1948年にこの研究所を基礎に本田技研工業株式会社を設立し、その取締役社長となる。軽自動二輪(ドリーム号、カブ号など)から次第に大型二輪車の製造を手掛け、1959年以降TT(Tourist Trophy)レースにも出場し、1961年には完全優勝を果たし、世界的な名声を得る。1963年以降は四輪車にも進出し、ホンダを自動車企業として世界有数の企業に仕上げるまで、自ら発明・工夫・設計の任に当たった。1973年にあっさりと社長職を引き、その後は最高顧問として、文化活動に従事した。

(写真:本田技研工業提供)