1933年からは、国際電波科学連合(URSI)に参加して、電離層観測や極年観測の国際的な協力関係の推進に貢献し、のちに同会長に選出された(1963年から任期3年)。第二次大戦中には陸軍のレーダー開発などに協力、戦後は工学教育の発展のための活動に携わった。1960年に東大を退官後、国際電信電話(KDD)の参与となり、同社の研究開発の指導に従事した。1982年9月2日、脳血栓で没した(82歳)。
(前ページの写真:1963年に文化勲章を授与されたときの古賀逸策。古賀逸策先生記念事業会編『古賀逸策博士記念文集』非売品(1984年)の口絵より)
主要な業績の説明
古賀逸策の研究は、主に電気通信工学の分野にあった。代表的な研究は、分周器の発明と
零温度係数水晶振動子の発明、とくに無線通信の発信器に利用した水晶振動子である。
●分周器の発明
適当に切った水晶体に電圧を加えると歪みが発生することはすでに1881年、リップマン(Lippmann)によって発見されていた(ピエゾ振動子)。アメリカのケイディ(W.
G. Cady)は、1922年に、水晶にある周波数の電圧をかけると共振が発生することに気づき、当時問題となっていた無線発信器の周波数を安定にする装置に応用できると着想した。1923年にはピアース(G.
W. Pierce)が、この振動が減衰しないように真空管を用いた発振回路を発明した。こうして水晶振動子は、周波数の変動が小さく、混信の少ない無線通信装置として利用されるようになった。古賀の指導教官であった東大教授・鯨井恒太郎はこのことに注目し、まず水晶振動子によって発生する周波数を容易に変更させるための工夫を行った。
1926年に古賀は、分周器(Frequency Demultiplier)を発明した。これは、基本となる周波数を正確に数分の1に変換させるための回路である。この分周器はその後、水晶発振時計の重要な部品として利用されるようになった。
●零温度係数水晶振動子の発明
ピエゾ振動子に興味をもった鯨井は、つぎに水晶振動子そのものの研究を古賀に勧めた。
古賀は、当時の水晶振動子が温度によって周波数が変動してしまうという欠点に注目した。水晶振動子は多少の衝撃を受けても周波数を乱すことはないが、気温の変化によって周波数が乱れてしまう。これを周波数温度係数という。この係数は、水晶を加工する場所、角度によってそれぞれ固有の値を取るものであった。従来のX板、Y板、R板、R'板という切り出し部分では、この係数は10の−5乗(摂氏1度当たり)であったため、水晶振動子は恒温槽の中に組み込まれる必要があり、取り扱いが不便であった。新たにR1板、R2板の水晶を用いるとこの係数が10の−7乗(摂氏1度当たり)へと、従来より100分の1の値に激減することを古賀は発見することができた。この水晶切り出し方を「古賀カット」と呼び、作り出された振動子を「零温度係数水晶振動子」と呼ぶ(1932年)。
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