八木秀次
やぎ ひでつぐ
YAGI Hidetsugu
 
1886-1976
大阪府大阪市北浜(現在の大阪市東区)に生まれる。
日本の電波工学の先駆者。現在も世界中で使われる地上波テレビ受信用「八木アンテナ」を発明。

経歴と業績

 1909年(23歳)、東京帝国大学工学部電気工学科卒業。翌1910年仙台高等工業学校電気科教授となる。1913年から3年間、電気工学研究のためドイツ、イギリス、アメリカへ留学。ドイツでは著名な電波工学者バルクハウゼン、イギリスでは真空管の発明者フレミングに師事した。1919年(33歳)、東北帝国大学に創設された工学部の電気工学科教授となり、当時わが国では黎明期だった電波工学の研究を開始し、1925年(39歳)に電波指向性の強い超短波用アンテナ(八木アンテナ)を発明。1931年(45歳)、大阪帝国大学創設に当たり理学部物理学科の初代主任教授となり、東北帝大教授も兼務し、大阪帝大では講師・湯川秀樹の量子力学研究を庇護(ひご)して、のちに日本人初のノーベル物理学賞受賞となる中間子論を書かせた。1942年東京工業大学学長、1944年内閣技術院総裁、1946年大阪帝国大学総長、1952年八木アンテナ株式会社社長となる。1951年に日本学士院会員に選ばれ、1956年に文化勲章を受章した。のち1995年にIEEE(米電気電子学会)が八木アンテナ発明を顕彰するマイルストン(記念碑)を、アジアで最初のものとして東北大学に建立した。
(写真:1964年、78歳の八木秀次。松尾博志提供)