主要な業績の説明
八木はみずから電波指向性の強い八木アンテナを発明しただけではなく、後進の研究を組織・
指導する“研究プロデューサー”として大きな役割を果たした。彼は「物理学に根ざした工学」を提唱し、応用のみでなく基礎的な研究に力を入れた。そのため当時の研究テーマには現在でも妥当なものが少なくない。また研究だけでなく、戦時中に内閣技術院総裁を務め、戦後も政府の科学関係審議会の委員を務めるなど、科学行政でも貢献した。
●八木アンテナの発明と研究の組織化
八木が東北帝大教授となって電波の研究を始めた1920年代は、日本の電気工学は圧倒的に発電・送電・変電と、電力を用いるモーター機械を研究する「強電」に占められており、電気通信すなわち有線と無線の通信は「弱電」と呼ばれる日陰の存在であった。だが八木は率先して東北帝大で無線工学の研究を始めた。そして真空管の電波発振を測定する学生の卒業研究の中で、八木は電波が強く受信される現象を生じたことに着目して、八木アンテナを発明した。その実用化研究では弟子の宇田新太郎が貢献した
ので、八木アンテナは「八木・宇田アンテナ」とも呼ばれる。
八木は1925年に仙台の財団法人斎藤報恩会から資金援助を得て電気工学科に研究プロジェクトチームを発足させ、電気通信に関するさまざまな研究を行った。そのなかから、八木の研究指導により1928年、岡部金治郎が分割陽極マグネトロン(現在電子レンジなどに用いられているマグネトロンの原型)を発明し、1938年には永井健三が交流バイアス磁気録音方式(現在のテープレコーダー録音方式
の原型)を発明した。こうして東北帝大は日本のエレクトロニクス研究の発祥地になった。これらの研究実績により八木は、1936年東北帝大に日本初の電気通信研究所が創設される基盤を作った。
(写真:八木アンテナを説明する八木秀次。八木アンテナ提供)
●大阪帝大物理学科の創設と湯川秀樹の研究庇護
八木が電気工学者でありながら大阪帝大物理学科の初代主任教授となったのは、大阪帝大の初代総長となった
物理学者・長岡半太郎の要請があったからだった。物理学にも造詣(ぞうけい)が深く、つねに世界の物理学の先端の状況に注目し
ていた八木は、大阪帝大で教授・菊池正士に原子核物理学を研究させ、講師・湯川秀樹には量子力学を研究させて、欧米の第一線の科学者と競わせた。湯川は量子力学の研究が先端的すぎて母校の京都帝大でも理解されなかったために、「阪大に入れて下さい」と
八木に頼んだ。 |